連載「素顔の選手《REDSげんき》」
episode1サッカー少年の僕が影響を受けたJリーグ
宇賀神友弥(うがじん・ともや)3 MF
サッカーは小学1年生からやっていましたが、自分でやるのが中心で試合を見たりすることはあまりありませんでした。
僕は、Jリーグという名前より先に浦和レッズという名前を覚えたんです。子どもの頃、母が駒場競技場(現・浦和駒場スタジアム)のVIP?の人たちに料理を出すところで働いていて、それでテレビで試合を見るようになりました。
マリノスの靴を履いていた記憶があります。
母が横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)を好きで、マリノス時代からの井原正巳さん(2001~2002年レッズ在籍)のファンだったので、レッズに移籍してきたときはすごく喜んでいました。その頃、僕は中学生でレッズジュニアユースに入っていたので、井原さんのサインをもらいたかったのですが、規則で禁じられていてもらえませんでした。
僕がレッズジュニアユースに入ったのが2000年で、レッズはJ2でしたが、その頃から特にレッズを意識するようになりました。
何かの大会に行ったとき、あるJクラブのジュニアユースチームの選手から「おう、J2の浦和レッズさん」と言われたのをすごく覚えています。
「俺たちにはそんなこと関係ない」と無視しましたが、やっぱりそんなふうに言われるのはすごく嫌なので、レッズがその年にJ1に復帰してくれたのはすごくうれしかったです。
そんなことを言ってきた相手との試合には、たしか勝ったと思います。
スタジアムにJリーグの試合を見に行くことはあまりありませんでした。高校サッカーの決勝は友達と見に行ったのですが。
小学生の頃のレッズというと、フクさん(福田正博選手)ですね。ほかの選手はあまり記憶にありません。選手の真似とかをする友達はいなかったですね。「マラドーナはこうやってシューズのヒモを結んでいるんだぜ」と真似している子はいましたけど。
子どもの頃、Jリーガーとの直接のふれあいは経験していません。中学生のとき学校に松木さん(元ヴェルディ川崎監督)が講演に来てくれたぐらいです。
あ、でも1回だけ戸田市スポーツセンターにレッズのサッカー教室みたいなイベントがあって行ったんですが、そのときも現役選手はいなかったと思います。覚えているのはクラブスタッフの戸苅さん(現フットボール本部本部長)にリフティングを教えてもらって、「じょうずだね」と言われたことです。
自分が子どもの頃、そういう機会が少なかったこともあって、僕はいまなるべく子どもたちと触れ合う場を作ろうとしています。
コロナで自粛期間中に、レッズのアカデミーの選手たちとオンラインで話したのもそうです。自分が子どもの頃にそういうことをしてもらえたら良かっただろうな、と思うことをやっていきたいです。
レッズのトップチームでプレーしている自分が、アカデミーの選手たちの目標や憧れであるということを意識したのは、自分がレッズに加入して5年ぐらい経ってからなんです。これからのアカデミー出身選手には、早くそういう自覚を持ち、期待を背負って頑張って欲しいと思います。
宇賀神友弥/1988年3月23日、
埼玉県戸田市生まれ
取材・文/清尾淳
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