連載「素顔の選手《REDSげんき》」
episode1サッカー少年の僕が影響を受けたJリーグ #03
柴戸 海(しばと・かい)29 MF
Jリーグを初めて意識したのはちょっと遅めで、小学校3~4年生の頃でした。
と言っても、一番接していたのはゲームの中でした。プレステのサッカーゲームで、よく使っているチームが鹿島でした。なぜって強かったからです。いま思うと、そのころの鹿島が実際に優勝していたかというと、そうではないですよね。初期のゲームだったので、強かった時のデータが反映されていたんでしょうか。
実際に見た試合は、横浜に住んでいたので、横浜FCと横浜F・マリノスです。
憧れた選手は中澤佑二選手ですね。その頃は戦術とか、あまり知らなかったですし、僕はDFではなかったんですけど、インパクトですね。中澤選手はとにかく迫力がありました。
日産スタジアムで試合の帰りに、中澤選手の顔が描かれたTシャツを買いました。
あとは中村俊輔選手です。すごくうまかったです。僕は利き足も違うし、真似しようとかは全然思わなかったんですが、単にうまかったから、よく見ていました。
サッカーは幼稚園からやっていて、もうJリーグがありましたから、自分もサッカー選手になりたいという気持ちは普通に持っていました。
ただ、本気で自分の進路としてプロ選手を選んだのは高校3年生のときです。特にどこかのクラブからオファーがあったわけではありませんし、そのころは自分にプロから誘いが来るとは思っていませんでした。これから自分にできる最大限のことをやってプロになろうと思いました。具体的には大学に行って4年間でしっかり練習しようということです。それが実現したことは本当にうれしいです。
柴戸は市立船橋高校から明治大学に進み、大学4年生の5月、浦和レッズ加入が内定した。当時の報道発表には柴戸の特徴として「危機察知能力が高く、相手の攻撃の芽を摘む能力に優れる」とあるが、ルーキーイヤーの2018年、柴戸がピッチで見せたプレーは、正にそれだった。その能力は守備だけでなく攻撃にも生かされ、その年のリーグ最終節。FC東京と1-1で迎えた後半3分、自陣でFKを得たレッズはキッカーの柏木がクイックリスタート。ゴール前に送られたボールにダイビングヘッドで合わせ勝ち越しゴールを挙げたのが柴戸だった。
囲碁などでいう「急所」へ素早く入り込むプレーはJリーグでもトップクラス。どんな相手にも当たり負けしないフィジカルとボールを奪ってからの正確なパスに磨きがかかれば、鬼に金棒だ。それこそ中澤佑二氏と中村俊輔選手がお手本になるのではないか。(清尾淳)
柴戸 海/1995年11月24日、
神奈川県横浜市生まれ
取材・文/清尾淳
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「J2のレッズ」と言われて嫌だった