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根本健太
悔しさを力に
変えた経験

連載「素顔の選手《REDSげんき》」

根本健太(ねもと けんた)28 DF

REDSDENKI

今回は、浦和レッズの根本健太選手に話を聞きました。サッカーを始めたきっかけや千葉で過ごした少年時代、U-18への昇格を逃してからプロを目指した日々を振り返ります。

泳から、大好きなサッカーへ

僕は千葉県の八街市出身で、小学生の頃はとにかく外で遊んでいる子どもでした。家の中でゲームをするよりも、毎日外に出て、みんなで集まってサッカーやゲームをしていました。

小学校2年生になる前までは水泳を習っていました。でも、当時通っていたスクールが厳しくて、毎回泣きながらスクールに通っていたんです。

ある日、親から「辞めてもいいよ」と言われたときは、とてもうれしかったのを覚えています。ああ、これでいっぱい遊べるんだ、って。そのとき、親と「何かスポーツは続けたほうがいいよね」という話になって、2年生のときに地元の少年団に入って、遊びでやっていたサッカーをちゃんと始めることにしました。


© URAWA REDS

イソル、そしてジェフでの挑戦

4年生になって柏レイソルA.A.長生に入りました。小学校には、練習に間に合うように朝から練習着を着て登校していましたね。2つ上の兄も4つ下の弟もレイソルでサッカーをしていて、親には車で送ってもらっていました。家の中はいつも賑やかで、親からしたら本当にうるさかったと思います(笑)。

その後セレクションに合格して、中学からはジェフユナイテッド市原・千葉U-15に入りました。学校が終わる15時50分になると、親が校門の前で待っていてくれて、荷物を受け取ってから電車に乗り、練習場のある蘇我まで通っていました。電車で片道約50分。練習が終わって夜ご飯を食べてから帰ると、家に着くのは22時とか23時。そんな毎日でした。

ジェフではU-18への昇格を目指していましたが、残念ながら上がることはできませんでした。ジェフのトップチームを目指していたので、そのときは本当に悔しかったです。

でも同時に、ユースに上がった仲間には負けたくないという気持ちが芽生えました。いつかプロになって見返してやりたい、という思いが強くなって。その悔しさが、今の自分を作ってくれたと思います。


© Toru Onishi

和レッズで輝けるように

子どもの頃は、夏休みに家族でよくキャンプに行っていました。そこで釣りをするのが楽しみで、その趣味は今でも続いています。この前のオフも、親と一緒に、千葉の銚子にある君ケ浜に堤防釣りに行って、イワシが釣れたんです。唐揚げにして食べたら、めちゃくちゃうまかったです(笑)。レッズには(小森)飛絢くんとか釣り好きのチームメートがいるので、今度ぜひ釣り企画をやってみたいですね。

浦和レッズに加入して、まだ試合には多く出られていないので、正直、悔しい気持ちはあります。でも今は、与えられたチャンスの中でどれだけやれるかが大事だと思っています。

シーズンも残り少ないですが、限られたチャンスの中でチームに貢献したい。そして、この浦和レッズで輝けるように頑張りたいです。


© URAWA REDS

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