113 2026.5.29

石原広教
選択をすべて
正解にしてきた
不屈のファイター

連載「素顔の選手《REDSげんき》」

石原 広教(いしはら ひろかず)4 DF

REDSDENKI

今回は、石原広教選手にお話を伺いました。湘南のアカデミーで育ち、福岡で経験を積み、浦和に加入して3季目となる熱きDFは、どんな逆境にも屈しない不動のメンタルを持つ。そんな「浦和の漢」が、これまでの歩みを振り返りながら自身の哲学を語ってくれました。

の言葉でサッカー選手としての軸が確立した

「人生で間違った選択をしたと思うことは、一つもないです」
 石原選手は、こちらの目を見て堂々と話してくれた。
 何事も自分で決め続けてきた。その事実が大きい。進むべき道も、誰かに言われたからという理由で決めたことは、一度もない。人のせいにせず、すべて自分の責任。これまでずっと、そんなスタイルを貫いてきた。
 だから、自信がある。そして、胸を張っていられる。
「過去を正解にするというか……絶対に間違いにしない。力づくでも正解に持っていく。そんな感じですかね」
 ボールを蹴り始めた子供の頃から自信を持っており、自分を疑わなかった。「とにかく負けず嫌い、そもそもの性格です」と言う石原選手を家族がサポートし、仲間たちが認め、出会った多くの人々が「そこが良い」と勇気づけてくれた。
 父が単身赴任中だったため、練習や試合を見守って、声をかけてくれるのは母だった。石原選手は「サッカーを知らないからですよ」と笑うが、他人と比較することのなかった母の言葉は核心をついており、現在の石原選手のプレースタイルに繋がっている。
「ダメ出しは一切なく、『広教ならできるよ』というプラスの言葉ばかりでした。ただ、自分らしさがなかったときは指摘されました。ピッチ内で闘争心が見えないプレーをしたときは『らしくないよ。もっとガツガツ行きな』って」
 当時、最大の理解者だった母の言葉が支えとなったから、自分を見失わなかった。
 地元の少年団である藤沢FCには、同じように気持ちの強い仲間が多く、負けたくないライバルばかり。同級生の齊藤未月(京都サンガF.C.)選手たちと切磋琢磨し、練習からバチバチで「喧嘩もしょっちゅうだった」という。


© URAWA REDS

んなときも自分が苦しいと思う道を選んできた

 小学3年生から籍を置いた湘南ベルマーレの下部組織でも、テクニックや戦術ではなく、サッカーのベースとなる走力、闘争心、精神面を学んだ。
「いまは環境も良くなっているはずですが、当時はジュニア、ジュニアユース、ユースが一つのコートでやっていたので、ボールを使えない時間がありました。集まっても1時間ボールに触れないので、その時間は土手を走る。普通のJ下部と違って、中学3年までは部活みたいな泥臭い練習が中心で、メンタルを鍛えられました」
 そのため、国体などで川崎フロンターレ、横浜F・マリノス、横浜FCの選手と一緒になると技術の差を思い知らされた。「ただ、戦える(笑)。走るところとかハードワークに関しては、絶対に負けないという気持ちが当時からありました」と思い出す。
 湘南ユースでキャプテンに選ばれ、2種登録を経てトップチームに昇格したが、最初の1年は出場機会に恵まれなかった。
「下手で入っているから、みんなに追いつくために全体練習が終わって1、2時間、1人でグラウンドに残って練習する期間がありました。あのときは苦しかったですね。試合には出られないし、どうしたらいいんだろうって眠れない夜もありました」
 それでも、心が折れることはなかった。選択肢は二つ。「やる」か「やらない」か――。当然「やる」と決めて、自分にできることに打ち込んだ。
「どっちを取るかといったら、やり続けるしかない。プロになったからにはという思いもありましたし、このまま終われるかって悔しさもありましたから、二択の片方を取った。試合に出るため、上手くなるために何をするべきか。その答えは簡単で、行動に移すのも簡単なんです。ただ、それができない人もいる。だけど俺は、やってきた。どんなときも自分が苦しいと思う道を選んできたつもりです」


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の声に従い自分で決めてきたから、後悔はない

 2年目にJリーグデビューすると、歯車が回り始める。ただ、プロ10年目の現在まで順風満帆だったわけではない。2019年にアビスパ福岡へ移籍したときも、2024年に浦和レッズの一員となったときも、風当たりは強かった。
「福岡に移籍するときは、ほぼ全員が『行かない方がいい』と言い、レッズに来るときも『止めた方がいいよ』と言われました。そして移籍直後、試合に出られなかった時期には『やっぱりダメじゃん』って。だけど、否定的な人を見返す気持ちもあったので、自分の選択を自分の力で正解にしました。それが、自分にとって大事な生き方なんです」
 進む道は、いつも自分で決めてきた。だから、後悔することがない。
 百年構想リーグの序盤、石原選手はベンチを温めることが多く、チームの連敗を止めることもできなかった。しかし、厳しい現状から逃げることなく、その後は6試合連続フル出場で連勝に貢献するなど、存在感を見せつけている。そんな石原選手の最大の武器が、子供の頃から失われていない不屈の精神であり、溢れるほどの闘争心なのだ。
「熱いハート、負けない気持ちがないと、試合に出続けるのは難しいと思います。特に俺は、そういう選手ですし。それに、いまのレッズは闘うチームだと感じるし、そういう選手が生き残っていく時代だと思うんです」
 最後に、普段の生活でも選択ミスがないか聞くと、こんな答えが返ってきた。
「基本的には、そうですね。例えば、結婚とか」
 やはり、真っすぐ見つめてくるその目には、一点の曇りもなかった。
 石原選手が、なぜ、キックオフからタイムアップまで走り続けられるのか。なぜ、その身を仲間とチームのために投げ出せるのか。なぜ、ピッチに立つ169cm、65kgの身体が一際大きく見えるのか。らしさ満載の言葉が、その理由を雄弁に物語っていた。


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