連載「素顔の選手《REDSげんき》」
片山 瑛一(かたやま えいいち)32 DF
今回は、今季から浦和レッズでプレーする34歳のDF片山瑛一選手にお話を伺いました。子供の頃から文武両道を実践し、川越高校から早稲田大学に進学。ほぼ無名の存在ながら努力を続け、プロサッカー選手に辿り着いたここまでの足跡を振り返ってもらいました。
生まれ育ったのは江戸時代から「小江戸」として栄え、現在では年間700万人を越える観光客が集まる川越市だ。
「実家があるのは鶴ヶ島寄りなので風情のある蔵造りの街並みじゃないんです」と断るが、「昔ながらのコミュニティがあって、近所づきあいが色濃く残っている落ち着いて暮らしやすいところです」と、故郷の良さには気づいている。
幼稚園年中からボールを蹴り始め、小学校に上がるとFC鶴ヶ島に入団した。地元では名の知れた少年団ながら、強豪がひしめく埼玉県で上位に食い込むのは難しい。それでも誇れる実績が一つある。
「フットサルの県決勝で、原口元気選手がいた江南南サッカー少年団と試合をしたことがあるんです。うちは無名と言うか、全国レベルじゃなかったけど、江南南は全少(全日本少年サッカー大会)で全国優勝していて、フットサルでも日本一になったチームなので、なかなか頑張ったと。たしか、11対1で負けました(笑)」
小学校6年生のとき、FC鶴ヶ島の友達と一緒に大宮アルディージャのセレクションを受けたが不合格。浦和は「受けていないはず。たぶん、足切りされたんだと思います」と記憶は曖昧だ。
川越西中学校に進み、サッカー部に入部した。
Jリーグのアカデミーを「雲の上の存在」と崇め、実力者が集まる近隣のクラブチームと対戦できる機会も少ないまま部活動で懸命に汗を流した。
「少年団の仲間が何人かいたので、みんなで頑張ろうって感じで楽しかったですし、公立中学校のなかでは強い方だったと思います。でも、選手同士で子供の頃の話になったとき、『あの子すごかったよね』と言われても分からない。大学以降の話ならなんとなく分かることもあるんですけどね……」
とはいえ、そんな高いレベルとは無縁の中学時代を恥じる気持ちは、一切ない。
高校は県下有数の進学校、川越高校に進学。自分がサッカー部を強くするという思いがあり、クラブチームやサッカー強豪校に進む選択肢はなかった。制服がなく、自主自立が校是の男子校「カワタカ」で部活動や学校行事に情熱を注ぎ、充実の3年間を過ごした。
「2日間で1万人以上を集める文化祭はテレビの取材とかもあって楽しかったです。でも、思い出すのは男子校ならではの普段の生活ですね。男子だけなので人目を気にせず、すべてをさらけ出せる。良い顔をする必要がないので、はっちゃけられる。良い思い出はたくさんあります。
部活では、給水ボトルを配っている女子マネジャーがいるチームに闘争心を燃やすとか。そんな3年間を経て大学で女子もいる環境になったとき、みんなが名前呼びしているのにショックを受けました。中学校まで名字呼びだったのに、名前なんだって。そのあたりのデメリットは、社会に出てからも感じます(笑)」
県でベスト16という成績を残し、川越高校サッカー部を引退。大学受験に舵を切り、一般受験で早稲田大学合格を勝ち取った。
ともに体育教師の両親の影響もあって、大学時代は教師を目指していた。
早稲田大学スポーツ科学部のキャンパスは所沢だが、教職課程を履修するため早稲田に通う必要があり、東伏見での授業もあった。同年代で合格者は片山選手一人だったという一般セレクションを経て入部したア式蹴球部の練習場があるのも、東伏見だ。
実家の川越、所沢、早稲田、東伏見を行き来するハードな4年間が始まった。
「教員免許状を取得するためには30~40単位余計に取る必要があるので、1日で3カ所を移動して授業を受ける日もありました。朝練の日は早めに起きてご飯を食べて、始発に間に合わないので最寄りとは違う駅まで送ってもらって、帰りも遅い。時間的な忙しさが本当に大変だったので、あの生活には戻りたくありません」
両親の支えがなければ不可能だった。いま、そのありがたみを噛み締めている。
サッカーではCチームから這い上がり、3年生でAチームの試合に出るまでになった。その後、関東大学選抜での活躍がスカウトの目に留まり、プロへの道が開けた。
「大学まではサッカーレベルの高いところにいたわけではないので、プライドも何もなく、まっさらな状態、すべてを吸収できる状態でした。軸が常に自分にあったと言うか……。上手くなるために何をすべきか、試合に出るためにどうすべきかだけを考えていました。チームがどうとか、ポジション争いのライバルがどうとか考える以前の段階だったので、意識するのは自分の成長だけ。Cチームにいたときも前向きな姿勢で練習していました。それが、すごく大きかったような気がします」
サッカーエリートではない自身の歩みを、そう振り返る。
大学4年次には川越高校へ教育実習にいき、無事に教員免許状を取得。当時の母校には転勤してきた父もいたため、親子揃って「カワタカ・ライフ」を送っていた。
2014年にファジアーノ岡山でプロ生活をスタートし、セレッソ大阪、清水エスパルス、柏レイソルで結果を残し、今季から浦和でプレーしている。プロ13年目。怪我もあって出場機会は限られているが、サッカーへの向き合い方は少しも変わっていない。
「まだまだプレーできる同世代の選手たちが、チームが見つからないで引退していく姿を見ているので、浦和でプレーできている幸せを感じています。もちろん、感謝の気持ちはプレーで示さないといけないと思っていますし、まだまだできるという思いもあるので、結果にこだわって頑張ります」
岡山、大阪、清水、柏、浦和と、所属クラブは徐々に実家に近づいている。
「地理的にも近くなったので、両親に会いに行く回数は増えました。なるべく顔を見せに行って、少しずつですけど、親孝行的なことをしていければ」
自身の子供時代を振り返ると、忙しかったはずの両親と遊んだ楽しい思い出しかない。
「めっちゃ遊んでもらいました。両親ともに一緒にスポーツをしてくれた記憶があります。僕は勉強もスポーツも諦めが悪いタイプで、できるようになるまで、自分が納得するまでやるような子でした。『もう1回、もう1回』といって続ける自分に『もうおしまい』と言わず、見守りながら暗くなるまで付き合ってくれていました。子供の気持ちを尊重して、『どんどんやりな』とサポートしてくれる両親でした」
二人の子を持つ父親となったいま、自分も同じように子供たちに接したいと思っている。
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