13 2021.02.19

大好きな大久保嘉人選手が神戸に
移籍して来た!

連載「素顔の選手《REDSげんき》」

episode1サッカー少年の僕が影響を受けたJリーグ #05
岩波 拓也(いわなみ・たくや)4 DF

REDSDENKI

曜日に大阪まで試合を見に行き、だいぶ遅く帰ったことも

僕がヴィッセル神戸の育成に入ったのは中学生からですが、その前からヴィッセルのファンでした。グッズも身に付けていましたし、練習を見学にも行っていました。
小学1年生の頃初めて見た試合は、神戸ユニバー記念競技場で、相手はたぶんアルビレックス新潟だったと思います。とにかくプロの選手が格好良くて、それからも試合は何度も見に行きました。ウォーミングアップを見るのが好きだったので、キックオフの1時間以上前からスタジアムに行っていました。
大阪までガンバやセレッソの試合も見に行っていました。ACLの試合を見にガンバの万博競技場まで行ったときは水曜日のナイターなので帰りはだいぶ遅くなりました。
僕はスタジアムでサッカーを見るのが好きで、プロになってからも自分の試合がない日にある試合はかなり見ていましたよ。


© Jun seio

けても残留争いしても神戸の選手はあこがれだった

好きだった選手は小学生の頃から、(大久保)嘉人さんひと筋でした。セレッソの練習を見に行ったときにサインをもらったのですが、その色紙は大事にラップに包んで実家に置いています。ヴィッセルとセレッソが対戦するときも、大久保選手のプレーを見ていました。だから僕が中学生の頃、ヴィッセルに移籍してきたときは、ムチャクチャうれしかったです。
あんなに感情をむき出しにしてプレーする選手はいないですね。
そういう負けん気の強いところが好きだったのですが、プロで一緒にやって、ピッチ内とピッチ外でこんなに違うんだ、ということがわかりました。
ピッチ内では厳しい要求とかをしますが、ピッチ外だとすごく優しいんです。
ヴィッセルで好きだった選手は、カズさん(三浦知良選手=2001年~2005年神戸在籍)とか、岡野さん(岡野雅行選手=2001年~2003年神戸在籍)とか、いましたけど、選手というよりもとにかくヴィッセルというチームが好きでした。
僕がアカデミーにいた頃、ヴィッセルは毎年のように残留争いをしていましたが、そんなことは関係なくトップの選手たちは僕たちの憧れでしかなかったし、負けようがどうしようが自分たちの横で練習している姿は格好良かったです。僕は1ファンから入ったプレーヤーだったので、「弱い」というイメージも全くなくて、試合を見に行くのが毎回楽しみでした。


© Jun seio

んな若いときにミスを経験してプロになっている

中学生時代のライバルと言えばセレッソですね。同い年の南野拓実(現・サウサンプトン=イングランド)がセレッソのU-15にいて、しょっちゅうケンカしていました。
プレーでバチバチやるだけでなく、それ以外でもやり合っていてレフェリーが止めに来るくらいでした。
今では仲が良くて、2人で笑い話にしますけど、当時は試合になると拓実に対してなぜか興奮していましたね(笑)。
僕が中3のときのヴィッセル神戸U-15はすごく強くて、日本クラブユース選手権U-15と高円宮杯全日本ユース(U-15)選手権の2冠を獲りました。
レッズで山田直輝選手や原口元気選手たちが獲ったとき(2005年)以来の2冠だったらしいです。正直、敵無しという感じでした。
レッズのジュニアユースとは当たった記憶があまりないですね。タカ(関根貴大選手)が一つ下でいたはずですが。
振り返ると、子どもころにプロ選手から刺激を受けることは大事だな、と感じます。レッズでは沖縄キャンプや遠征先でサッカー教室をやったことがありますが、そういう機会は大事にしています。
それとユースの選手を見るのも好きで、レッズユースの選手たちがトップの練習試合に入ったりしますが、たとえミスをしてもプロ選手はみんなそういうことを経験してきていますから、気にせず思いきりやってほしいです。少しでも役に立てばと思って僕も積極的に話し掛けたり、いじったり、スパイクをあげたりもしています。

©URAWAREDS

岩波 拓也/1994年6月18日、
兵庫県神戸市生まれ

※大久保嘉人
J1通算得点記録を更新し続けている日本を代表するFW。長崎県の国見高校から2001年セレッソ大阪入り。スペイン、ドイツでもプレーした。ヴィッセル神戸には2007年~2008年と2009年~2012年に在籍。その後、J1、J2の各クラブを渡り歩き、今季はセレッソに所属。

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