15 2021.04.16

サッカーボールと
一緒に寝ていました

連載「素顔の選手《REDSげんき》」

episode1サッカー少年の僕が影響を受けたJリーグ #06
西川 周作(にしかわ・しゅうさく)1 GK

REDSDENKI

初に好きになった選手はカズさん

Jリーグが始まったのは、僕が小学2年生のときでした。
小学校のサッカー部に入れるのは3年生からですが、それまでもテレビで放送するJリーグの試合を友達もみんな見ていたので、昼休みとか放課後などサッカーを遊びでワイワイやっていました。だから3年生になったらみんなサッカー部に入りました。
GKになったのは4年生からで、最初は右サイドバックだったんですが、好きな選手はカズさん(三浦知良選手=横浜FC)でした。
あのころヴェルディ(1998年まで所属)は強くて格好良かったじゃないですか。中でもカズさんが大好きでした。
まさか自分がプロになってカズさんと同じピッチに立つことになるとは思ってもいませんでしたが、つい先日も埼スタで対戦しましたしね(3月10日横浜FC戦)。ちゃんと挨拶しましたよ。うれしかったですね。
カズダンス(三浦選手のゴールパフォーマンス)、してましたよ。誰かのゴールが決まったら、みんなでやっていました。


2014年のレッズ加入の頃© urawa reds

団をマットにして跳んでいた

Jリーグをスタジアムで初めて見たのは小学6年のときです(1998年)。
車で1時間半くらいの、福岡の博多の森球技場(現ベスト電器スタジアム)に、アビスパ福岡対横浜マリノスの試合を見に行きました。そのときは、マリノスのゴールキーパー、川口能活さんばかり見ていました。もうウォーミングアップのときから、メーンスタンドの一番前の席で釘付けでした。
能活さん、それまでテレビでしか見たことがなかったんですが、すごく格好良かったですね。
ルックスもそうですけど、跳び方がいいんです。そのころ僕らのグラウンドは芝じゃなく土だったので、家で布団をマット代わりにして、能活さんの真似をしていました。

ッズと大分の昇格争いを見ました

サッカー教室とかJリーガーからサッカーを教えてもらったことはなかったですね。大分トリニータの選手とも僕が大分ユースに入るまで会ったことはなかったです。
トリニータの試合は中学2年のとき、見に行きました。大分市営陸上競技場にチームのみんなと行ったんですが、あれはレッズ戦でしたよ。だからレッズはJ2ですね(2000年)。
レッズが勝ちましたけど、J1昇格争いのすごく大事な試合だったんです。
これがレッズか、という感じで、小野伸二さん(現北海道コンサドーレ札幌)とかもいましたが、僕はやっぱりGKの西部洋平さん(現カターレ富山)ばかり見ていましたね。

1個のボールが宝物だった

小学3年生で初めて買ってもらった、白黒のサッカーボールをすごく大事にしていました。ネットに入れて、どこへ行くにもそれを蹴っていました。
もちろん練習でも使いますから汚れるじゃないですか、それを磨いてきれいにしてから、布団に入れて寝ていました。「ボールはともだち」(漫画「キャプテン翼」の名セリフ)だと思っていましたから。本当に宝物でしたね。
中学生になったらボールが5号球になるので、それは使わなくなりましたが、小学6年生までずっと持っていて、最後はかなりボロボロになって中の黒いチューブが出てきました。今はもうないですね。残しておけば良かったかな。

©urawa reds

西川 周作/1986年6月18日、
大分県宇佐市生まれ

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