連載「素顔の選手《REDSげんき》」
episode1サッカー少年の僕が影響を受けたJリーグ #07
伊藤 敦樹(いとう・あつき)17 MF
僕が通ったさいたま市立道祖土(さいど)小学校は、浦和駒場スタジアムに一番近い学校で歩いて5~6分です。初めて試合に行ったのも駒場でした。
最初に行った試合がいつで、相手チームも覚えていないんですが、小3からサッカー少年団に入って土日は試合を見に行きにくくなったので、それより前だったと思います。
両親と一緒に立ち見席にいて、紙吹雪を拾っては投げていたのを覚えています。
選手の名前はみんな覚えていますが、どの選手のファンだったというのはないんです。ただ浦和レッズが好きで、試合を見ていました。友達はけっこうJリーガーのパフォーマンスとかを真似していましたが、僕はしなかったですね。
レッズ以外のチームで好きになったところはなかったです。嫌いだったチームは…、大宮アルディージャと(笑)、鹿島アントラーズとガンバ大阪です。
お母さんと大原サッカー場へ行って、選手からサインをもらっていました。「敦樹くんへ」と色紙に書いてもらって、30人以上ありますよ。ヒラさん(平川忠亮コーチ)や阿部さん(阿部勇樹選手)のもあります。もらったときはすごくうれしかったですし、ずっと家に飾ってある僕の宝物ですね。
6年生のとき、少年団の先輩である岡本拓也さん(28歳、道祖土サッカー少年団→レッズジュニアユース→レッズユース→レッズ→長崎→レッズ→湘南)が、プロになって挨拶に来てくれたことはあります。岡本さんから何を言われたかは記憶にないんですが(笑)、少年団のコーチが「岡本くんは小学生のころからすごかった」と言っていて、僕にも「それを目指せ」と言われたのは覚えています。
レッズのジュニアユースには、練習会に誘われて行って、合格をもらいました。入りたいと思っていたので、合格したときは無茶苦茶うれしかったですし、そこからプロになりたいと真剣に思うようになりました。
ジュニアユースでは同じ少年団の選手はいませんでしたが、半分くらいは浦和の人でしたし、ほとんどがトレセンなどで会ったことのある選手たちだったので、やりづらさはなくて、高いレベルで毎日練習できるのは楽しかったです。
ジュニアユースでもユースでも大学でも、同期だった選手でJリーガーになった人は何人もいます。そういう選手が活躍した話を聞くと、自分もがんばらなくちゃと刺激になります。
サッカー選手を目指している小学生、中学生のみなさん。夢を持ち続けて、たまにうまくいかないことがあっても、あきらめないで自分の夢に向かって努力し続けてください。
伊藤 敦樹/1998年8月11日、
さいたま市生まれ
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