No325 09.17 発行
WEリーグ開幕戦で見た『プロ』らしさあふれる厳しい試合
大住良之 サッカージャーナリスト
WEリーグの記念すべき開幕戦、「日テレ・東京ヴェルディベレーザvs三菱重工浦和レッズレディース」を見ながら、思い起こしたのは、1993年5月のJリーグ開幕戦だった。
優勝候補「ヴェルディ」が登場し、対抗する一番手が「先鋒」を務めた点でよく似ていた。コロナ禍で入場者数が制限され、入場者数はJリーグとは比較にならない2427人だったが、熱いサッカーはあのときのJリーグ以上だった。
目についたのは、試合の厳しさだ。互いに激しくプレスをかけ、球際の激しさは、これまでの女子サッカーのイメージを超えていた。昨年までのなでしこリーグでは、ベレーザもレッズレディースも互いのテクニックを競い合うようなサッカーをしていたが、そこに激しさ、厳しさが加わり、勝負にかける「プロらしさ」が見えた。
思えば1993年、わがレッズは、負けに負けた。森孝慈監督の下、超攻撃的なサッカーを見せて前年の「ナビスコ杯」で大躍進、そのサッカーのままJリーグ1年目に突入したら、周囲は勝負にこだわる姿勢に切り替えていたのだ。
しかしWEリーグ開幕を迎えたレッズレディースは1993年のレッズではなかった。開幕戦でヴェルディを下したマリノスに近かった。森栄次総監督と楠瀬直木監督の下、厳しさあふれるサッカーで対抗した。ボールの周囲に集結し、白いユニホームが13人いるのではないかと思えるような活動量を見せた。その集団的なサッカーのなかで、後半、逆転に成功した。まるで1993年のJリーグ開幕戦の再現だった。
女子リーグのプロ化に関しては、さまざまな意見があった。プロとして成り立つ入場者数を集められるのか、その懸念がいちばん大きかっただろう。
しかしこの試合を見ながら、私はやはり「プロ」の本質はピッチのなかのサッカーにあり、そのプレーヤーたちにあると思った。ベレーザも、東京五輪代表選手を6人並べ、素晴らしいサッカーをした。しかしレッズレディースも、プロらしい厳しいサッカーでそれに対抗し、勝機を見いだした。
「プロとして魅力があるか」―。WEリーグの開幕戦は、力強く「Yes!」の回答を出した。
No326 10.15 発行
チーム全体に求められるのは、さらなる成長
国吉好弘 サッカージャーナリスト
明治安田生命J1リーグ第31節のヴィッセル神戸戦で1-5と敗れ、YBCルヴァンカップの準決勝ではセレッソ大阪にホームで追いつかれて1-1、アウェーでは0-1で敗れ敗退が決まった。ここへきてやや悪いサイクルに入っているが、東京オリンピックによる中断後の再開からは2度の3連勝を含む8試合6勝1分1敗と好調を続けていた。
その要因は、リカルド ロドリゲス監督の下、徐々に戦術が浸透しチームがまとまってきたところに、中断期間で実現させた補強が当たったこと。センターバックのアレクサンダー ショルツ、右サイドバック酒井宏樹、ボランチ平野佑一、トップ、あるいは攻撃的MFを務める江坂任と、加わった4人がいずれも見事なプレーでポジションをつかみチーム力を高めた。
日本代表でも不動のレギュラーである酒井は攻守にダイナミックなプレーで右サイドを活性化、ショルツはディフェンスを安定させ攻撃参加も効果的で、江坂は持ち前のテクニックとアイディアで攻撃に変化を加え、攻撃力を高めている。
3人はこれまでも実績があり、能力の高さも評判通りだが、中盤で落ち着いたプレーを見せゲームをコントロールする平野の活躍は驚きだった。J2の水戸ホーリーホックで中軸を担っていたとはいえ注目を浴びる存在ではなかっただけに、J1でボールを奪い、的確につないで鋭い縦パスも供給する活躍は予想を上回った。リカルド監督が昨季まで率いた徳島ヴォルティスでもっとも信頼していた岩尾憲のような存在として求めた役割を、高いレベルで果たしている。
神戸戦の前まではすべてがうまく回っていたが、当然のことながら相手も好調のレッズを十分に研究する。キーマンとなった平野や小泉佳穂に激しいプレスを仕掛けて彼らが思いのままにプレーできないように自由を奪った。それが不振の要因だろう。
しかし、ここで後へ引いてはならない。リカルド監督のサッカーに取り組んで臨んだ前期も初めはうまくいかないことも多かった。そこで印象に残っているのが、小泉が「ここで腰が引けたプレーをしては意味がない」と話した言葉だ。ミスが起きたり、相手の対策に手こずったりしても、目指すプレーをより前向きにアグレッシブにプレーすることが大事だ。相手の対応が厳しければ厳しいほど、恐れずにかいくぐる勇気と工夫が必要になる。ここを乗り越えなければ目指す目標には到達できない。
その意味でもガンバ大阪戦は重要であり、楽しみな一戦となる。
No327 10.21 発行
加入直後からスムーズにフィット MF平野佑一は今や浦和の頭脳だ
飯尾篤史 スポーツライター
まるで何シーズンも中心選手としてプレーしてきたかのようだ。今夏、J2の水戸ホーリーホックから加入した平野佑一のことである。
8月14日の明治安田生命J1リーグサガン鳥栖戦でさっそくボランチの一角として抜擢されると、天皇杯の京都サンガF.C.戦、J1リーグ徳島ヴォルティス戦、サンフレッチェ広島戦……と連続してスタメン起用された。
「チームの頭脳になり得る選手」
平野の加入が決まった際、リカルド ロドリゲス監督はそう評したが、決して大袈裟ではない。チームに数的優位をもたらす立ち位置の取り方が的確で、一手先、二手先を読んでボールを動かしているのが感じられる。
合流直後からスムーズにチームにフィットした平野だったが、なかでも圧巻だったのがYBCルヴァンカップ準々決勝の川崎フロンターレとの連戦だった。
後方から来たボールをダイレクトで前の選手に届けるフリックパスを連発。ミドルゾーンを制圧し、J1王者の中盤を混乱させた。
チームが勝ち抜きを決めたこともあり、この2戦は本人にとっても自信となったようだ。
「フロンターレ相手に自分のサッカーがある程度通用した。それまでも自分の色を出そうと思っていたんですけど、本当の落ち着きを出せたのはあの2試合。そこからは自分のストロングを披露できているのかなと思います」
素早くチームに溶け込めたのは、技術、サッカーIQの高さに加え、コミュニケーション能力も要因だ。
「モヤモヤしたまま試合に臨むのは嫌なので、自分の考えは伝えています」と語るように、戦術面のすり合わせや攻守におけるアイデアをしっかり発言するという。これにはチームメートも「佑一は意外と喋る」と歓迎している。
正直に言うと、こんなに良い選手がJ2にいたのかと驚かされている。このレジスタ(中盤後方でゲームをコントロールする選手)がいるといないとでは、ビルドアップの精度が大きく変わる。
同様に、J2からやって来た小泉佳穂、明本考浩も今やピッチにいなければチームが成り立たないほどの存在感を発揮しているが、彼らの活躍は、レッズのスカウトがしっかり機能している証だろう。
No328 11.19 発行
プロ1年目に大きく成長している伊藤敦樹
杉園昌之 スポーツライター
今季はすでに明治安田生命J1リーグ、YBCルヴァンカップ、天皇杯を含めて48試合に出場。開幕スタメンでデビューを飾ったのが、もう遠い昔のようだ。大卒新人の伊藤敦樹は1年目と思えないほど中盤の底で堂々とパスをさばき、ビルドアップの起点となっている。
平野佑一が途中加入した8月以降は、先発出場の機会を減らしたが、成長の速度が鈍ったわけではない。むしろ、タイプの異なる先輩から刺激を受け、シーズン終盤はより積極的にチャレンジするプレーが増えてきた。攻撃のスイッチを入れる鋭い縦パスを出したかと思えば、ゴール前に顔を出す回数も多くなっている。11月3日の川崎フロンターレ戦では、その成長の一端が垣間見えた。敵陣のペナルティーエリア内に走り込んでパスをもらい、ゴールのきっかけをつくる。「あそこでシュートを打つことに意味がある」と手応えを口にしていた。
伊藤の理想は、自陣のエリアから敵陣のエリアまで駆け上がって仕事をこなす『ボックス・トゥ・ボックス』と呼ばれるセントラルミッドフィルダー。レッズの長山郁夫スカウトは、流通経済大時代からダイナミックな動きに目を奪われ、日本代表で活躍していたときの稲本潤一(現・SC相模原)を思い浮かべたという。プロの舞台では、底知れないポテンシャルのすべてはまだ見せていない。
ルーキーイヤーは本人の希望もあり、ボランチを務めているが、レッズのアカデミー時代は攻撃的MFとして、大学時代は守備のマルチ選手として重用された。サイドバックに始まり、大学4年時はほとんどセンターバックでプレー。最終ラインからミドルパスを散らし、ボールを持ち運ぶのもお手の物だった。
当時、流通経済大で指導していた曺貴裁コーチ(現京都サンガ監督)に守備面を鍛えられ、自信をつけた。最終学年に球際での戦いの重要性を叩き込まれた恩師からは、かつて湘南ベルマーレで指導した選手たちのこともよく聞かされた。伊藤が印象に残っているのは遠藤航(現シュツットガルト)の話だ。言わずと知れた元レッズのポリバレントプレーヤーである。多くのポジションでプレーする価値は、伊藤本人も理解している。対戦相手、戦況に応じて、試合途中でポジションを変えることが多い指揮官の新たなオプションになる可能性は十分にある。展開力と機動力を備えたセンターバックとしての顔も見てみたい。
No329 11.26 発行
槙野智章の“ポジティブ”を受け継ぐ者は誰か
大住良之 サッカージャーナリスト
「プレーの面もありますが、何より槙野はポジティブな人間だからです」
12年にミシャことミハイロ ペトロヴィッチが浦和レッズの監督に就任したときの言葉をよく覚えている。サンフレッチェ広島時代の恩師であるミシャを追うように、槙野智章はドイツの1.FCケルンから期限付き移籍でやってきた。
以後10シーズン、槙野は浦和レッズの守備のシンボルとなり、また、サポーターとチームを強く結びつける役割を担ってきた。だがクラブへの彼の最大の貢献は、どんなときにも胸を張り、顔を上げて、何よりも自分自身と仲間たち、そして共に戦うサポーターたちの力を信じ、前向きに戦い続けてきたことだ。
ミシャの下でチームは成長し、チャンピオンの座にも近づいた。その間にも大きな挫折の時期があり、誰もが打ちひしがれたときもあった。しかし槙野はどんなときにも苦しい表情など見せず、胸を張っていた。その姿に、チームも指揮官もサポーターも勇気づけられた。
もちろん、プレー面でもチームを牽引した。「何が何でも抑えなければならない」と決意したときには、全身全霊でその仕事に没頭し、チームに勝利をもたらした。17年のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)決勝第2戦、アルヒラルのエースは、当時アジアで最強のFWと言われたシリア代表のオマル フリビンだった。この年にアジアの年間最優秀選手に選ばれるこの巨漢ストライカーに、槙野は90分間粘りつき、体をぶつけ、自由を与えなかった。彼を抑え切ったことが、2回目のACL優勝につながった。
ことし、リカことリカルド ロドリゲス監督の下で、浦和レッズは大変貌を遂げ、まったく新しいチームに生まれ変わった。シーズン前に柏木陽介がチームを去り、夏には武藤雄樹が移籍。そして11月には、阿部勇樹が引退を表明、槙野とともに宇賀神友弥が今季限りでチームを離れることが発表された。今季のJリーグで出場機会が多かった選手たちはそっくり残るが、去って行く選手たちがチームで果たしてきた有形無形の役割を残る誰が引き継ぐのか、それがはっきりと見えているわけではない。
とりわけ、槙野が強い心で示し続けてきた「ポジティブな姿勢」を誰が受け継ぐのか—。リカの下で今季大成長を遂げた浦和レッズが真のチャンピオンに上り詰められるかどうかはそこに懸かっているとさえ、私には思える。