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出会っていなかったら、気付けなかったことがある

連載「素顔の選手《REDSげんき》」

Episode3 ぼくの好きな先生NEW
市立船橋高校・朝岡隆蔵先生(体育・サッカー部コーチ)
馬渡 和彰(まわたり かずあき)6 DF

REDSDENKI

骨心をパワーに変えた

僕の好きな先生と聞いて、すぐに浮かぶのは、市立船橋高校でサッカー部のコーチで体育の先生でもあった朝岡隆蔵さんです。
市立船橋高校の卒業生で、高校選手権で優勝もしています。僕が高校2年生のときに市立船橋に戻ってきたという形で、2年間お世話になりました。
体格がかなりがっしりして、容姿はちょっと強面(こわもて)なんですが、すごく理論派で何を言っても言い負かされてしまうんです。
情熱もあって、曲がったことが大嫌い。サッカーの前に、人としてどうあるべきかというのを練習中にもズバズバ言うんですよ。それがけっこうトゲのある言い方で、僕はしょっちゅうやり合っていましたが、当時は、反骨心というか悔しい気持ちをパワーに変えてやっていました。


© URAWA REDS

「人として変われ」と言われ

悪いことをして怒られた経験は、当時、選手は炭酸飲料を飲んではいけなかったんですけど、練習場の近くに自動販売機があるので、後輩に買いに行かせたのがバレました。
やってはいけないことを自分がやるのではなく、後輩にやらせたというところが良くなかったのだと思います。「人間として変われ」とBチームに落とされました。「反省の色が見えなかったらAチームには戻さない」と言われたのですが、どうすれば反省していることを見てもらえるのかわからないので、プレーではひたすら走り回り、後輩がミスしても文句を言わずカバーしたり、励ましたりと、自分のエゴではなく何とか自分のチームを勝たせようと必死にやっていました。
どれっだけの期間でAチームに戻ったか覚えていないですけど、あの時期はメチャクチャ勉強になりました。
朝岡さんに出会っていなかったら、気付けなかったことがあると思っています。


© URAWA REDS

「真面目に、謙虚に、直向きに」

高校3年生のとき、高校選手権の県予選で習志野高校に負けた試合が自分の最後の試合だったんですが、わりと早い時間に0-3になってしまったんです。サッカーだと、ほぼ負けじゃないですか。でも1点を取りにがむしゃらにやっていたんですが、試合後、朝岡先生に「あの最後の10分~15分がお前のあるべき姿だ。いつもああいうふうに全力を出せるように必死にやれ」と言われたのをずっと覚えています。
卒業アルバムには「真面目に、謙虚に、直向きに」と書いていただきました。今でも自分の中で大事な言葉です。
でも、最初は「直向きに」が読めなくて「じかむき、って何だろ?」と思っていたんです。大学生になってから「これ、ひたむきって読むんだ!」とわかりました。


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ッズで活躍することが恩返し

朝岡先生は僕が卒業した翌年に市立船橋の監督になり、いまはジェフユナイテッド市原・千葉で育成チームを指導しています。
今でも連絡は取っていますよ。プロになったときや、移籍したときとか。僕の方から電話して「いまこういうマインドでやっているんですが、これは間違ってないですよね」とか「こういう状況なんですけど、朝岡さんはどう思いますか」とか聞きます。かなり長い電話になります。
浦和に移籍が決まったときは、湘南から大宮に移った後ですから、「キャリアが下に向かって行くかというときに、もう一度浦和に入って上がって行くのはすごい、やっぱりお前は力があるよ」と言ってもらいました。
朝岡先生はめったに褒めないんですよ。その人からそう言われたのは、本当にうれしかったです。
僕のここからの人生は恩返しだと思っています。いろんな人に支えてもらってこのキャリアを歩めていますから、自分が浦和レッズでもっと活躍することが、その人たちに対する恩返しになると思っています。
レッズの柴戸海選手も市立船橋高校なんですが、彼も朝岡先生とすごく関わっていて大好きなんです。柴戸選手と朝岡先生の話をするのは楽しいです。


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東京都生まれ

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