連載「素顔の選手《REDSげんき》」
Episode4 ぼくの宝物NEW
松崎 快(まつざき かい)27 MF
宝物と聞かれて挙げられるのは家族です。僕は一人っ子なので、家族=両親ですね。
今までの人生で、親から道を決められたことがないんです。全て自分に任せてくれたというか。放っておかれたということではなく、たとえばサッカーに関して言うと、辛かったらやめてもいいよ、というスタンスで、ただただ応援してくれてたという感じでした。
僕がサッカーをやり始めたのは4歳くらいだったんですけど、どうして始めたのか記憶はないんです。親が言うには、僕がやりたいってだだこねたってことなんですけど、そんなちっちゃい頃って覚えてないですよね。通っていた幼稚園でサッカーをやっていたんです。
小学生になったら、その幼稚園が運営しているサッカー少年団があって、そこに入りました。あまりその気はなかったんですけど、幼稚園のときのコーチが少年団にいて、「来てよ」みたいな感じで言ってくれたので、そのまま続けました。
少年団でやっているとき、親はけっこう大変だったと思います。チームは結構いろんなところに試合に行って、県外とかもよくありました。そういうとき車で何人か乗り合わせて行くんですが、自分の親が車を基本的に出していました。
それとサッカースクールにも行っていたので結局、週に5~6日くらいはサッカーの送り迎えしてもらっていました。試合はほとんど見に来てくれていて、小学生のときは、ダメなプレーをしたときはダメって言われてました(笑)。
中学生になって、大宮アルディージャのジュニアユースに入りました。僕の中学校にはサッカー部がなかったんです。だからサッカーを続けるならクラブチームに入るしかなかったんですが、少年団のコーチがアルディージャに声をかけてくれて決まった感じです。親からは特に何も言われませんでした。行きたいなら行きなさい、という感じでした。ジュニアユース時代は、練習には自分で電車で行くんですが、家が駅から遠かったので、駅まではやはり送り迎えしてもらっていました。
ジュニアユースの監督が伊藤彰さん(大宮OB、後に大宮のトップチームなどの監督を歴任し、現在はベガルタ仙台監督)で、「プロになるということを意識しよう」と強烈に言っていたので、意識しないわけにはいかず、そこは強く持っていたと思います。親にも、プロになりたいという話はしていました。そこに関して無理だよ、みたいなことは言わなかったです。勉強はちゃんとしておけよ、と言われたぐらいです。
ユースになったら、プロへの意識はより強くなって、日々意識はしていましたが、自分より上だと思う選手が同級生にいたので、トップに上がれる可能性は半々かそれ以下かなという気はしていました。ユース時代は寮だったので、家からは出ていました。
大宮は、ユースからトップに上がれるかどうかの結論が7月に出るんです。7月の末に日本クラブユース選手権大会があるんですが、その前です。結局、同期からは4人がトップに上がりましたが僕は入っていませんでした。
やっぱりそうか、というのは正直ありましたけど、クラブユース選手権で自分をトップに上げなかったことを後悔させてやろうみたいな気持ちになりました。そこで準優勝して、個人では準優勝チームのMVPみたいないMIPも獲って、気持ち的には一つ目標を達成した感じでした。
ユースの後の進路は、いつの間にか決まってた感じです。大宮と東洋大学のサッカー部はつながりがあって、自分で行きたかったわけではないんですが、気づいたら決まってました。
大学に行くときは、4年後は絶対にプロにならないといけないと思っていました。親は、大学のことも僕から報告して「ああ、そう」という感じでした。大学でプロを目指すという話もしました。そのときには、勉強は本当にやっておきなよ、みたいなことを言われました。大学は出てほしかったようなので、その点では少し安心してくれたと思います。プロになることが全てじゃないと思っていたのだと思います。
大学に寮はなかったので家から通っていました。就活は全然していなくて、プロからいくつか練習参加の誘いも来ていたので、どこかに決まるだろうと思っていました。6クラブくらい行きましたが、水戸ホーリーホックに決まったのは4年生の12月というギリギリのタイミングでした。親はかなり喜んでくれました。ただ1年目はコロナの年だったので親が試合を見に来ることはなかったです。2年目はちょくちょく両親で来てくれてました。
浦和に移籍が決まった時は驚いたと思います。
父親はレッズファンで、昔はすごく試合を見に行っていたんです。僕も一緒に行きましたから。だから喜びよりも驚きのほうが大きかったと思います。2022年のシーズン初ゴールを挙げたヴィッセル神戸戦は父親だけ見に来てくれていました。たぶん喜んだと思いますが、父親は僕と同じであまり感情を派手に表さないんです(笑)。
本当に両親にはすごく感謝しています。僕がやりたいということにほぼ干渉せず、見守ってくれていたと思います。今思うと心配していたのかもしれませんが、それを感じさせることもありませんでした。こうやってJリーガーをやっていることに関しては両親のおかげというところがすごく強いです。
恩返しには、元気にサッカーやってるところを見せられたら一番いいかなと思います。
いまはちょくちょく食事に出かけたりします。それは僕が払います(笑)。あと父親が自営業で家にずっと乗ってたトラックがあったんですが、それが結構古くなっていたので、去年の秋にトラックをプレゼントしました。すごく喜んでくれました。
本当に面白いエピソードとか何もなくて申し訳ないんですが、僕の宝物は僕の進んできた道をずっと見守ってきてくれた、家族です。
ありきたりな言葉ですが、お父さん、お母さん、いつも応援ありがとう。
松崎 快/1997年11月22日 埼玉県川越市生まれ
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