68 2023.9.29

大事なものは金メダルと家族です
次の金メダルは実家に飾って欲しい

連載「素顔の選手《REDSげんき》」

Episode4 ぼくの宝物
牲川歩見(にえかわ あゆみ)16 GK

REDSDENKI

17歳から一緒にやってきた仲間と獲った金メダル

僕の宝物は、リオデジャネイロ・オリンピックのアジア最終予選を兼ねてカタールで行われた、AFC U-23選手権で優勝したときにもらった金メダルです。
もう7年半前になりますけど、大事に家に飾ってあります。
2011年のU-17ワールドカップからずっとその年代の代表でやってきて、そこで(中島)翔哉とも仲良くなって、彼が今年の8月にレッズに来てからは、よく一緒にいます。若いころに一緒にやった関係は強いですね。
僕自身は、カタールでは出場していないんです。23人メンバーがいて、GKは3人で僕だけ試合に出られなかったんです。でも優勝したときにはうれしくて、自分の中でも達成感がありました。代表という特別な場所で、17歳から一緒にやってきた特別な仲間と獲れたっていう意味で、自分が出られなかったという悔しさはありましたけど、それとは全然次元が違って、すごくうれしかったです。一つやり遂げたという感覚ですね。
それまでのサッカー人生で金メダルを獲ったという経験はなくて、初めてということもあったでしょうね。


© URAWA REDS

分も試合に出たルヴァンカップで優勝したい

レッズでは、2022年2月のFUJIFILM SUPER CUPが印象に残っています。
プロになって初めてのタイトルで、J1だといろいろなタイトルに挑戦する機会があるな、と思いました。そして今季はACLでも優勝しました。
来月準決勝を闘うYBCルヴァンカップは、自分もこれまで2試合に出場していますから、優勝すれば、自分が出ていなくて獲ったタイトルとは違った感覚になると思います。優勝したいです。


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っとやりたいことをやらせてくれた両親

もう一つ、宝物と言えるのは家族です。弟と、両親の4人暮らしでした。実家は静岡県の浜松市にあります。
両親にずっと、やりたいことをやらせてもらってきました。スポーツをいろいろやってきたんですけど、最初はソフトボールでした。小学校2年生のとき友達と一緒にやりたくて、親に相談もせずチームに入ることを決めてきちゃいました。
小学3年生になって、ソフトボールをやめて水泳をやりたいと言ったときも、何も言わずにやらせてくれました。送り迎えに手間がかかったはずなんですけどね。
サッカーを始めたのは小学校5年生です。友達がジュビロ磐田のサポーターで、ジュビロってこんなチームでこういう選手がいてっていろいろ聞いて、ジュビロのサッカースクールに入ると、あのエンブレムをつけられるというのが動機でした。
中学生になるとき、ジュビロのジュニアユースのセレクションの申込用紙をもらってきて、これ受けるから書いて、と親に渡しました(笑)。セレクションに合格したときは、良かったねって言ってもらえた記憶があります。
高校生になるときは、高校を自分で見つけてきて、この高校に通いながらジュビロのユースでやりたいんだけど、と言ってOKをもらった感じです。ユースから寮生活なので実家は出ました。ジュビロのトップに昇格が決まったときはすごく喜んでくれました。


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返しは試合で元気な姿を見せること

6月18日のルヴァンカップのグループステージ最終節、アウェイの清水エスパルス戦はリザーブだったんですが、両親も見に来ていました。試合は引き分けだったんですけど、他の試合結果でレッズが勝ち抜けたんですね。でも親はそれを知らなかったようで、試合が終わってから電話で「引き分けちゃったねえ」と残念そうに言うので「でも上に行けるんだよ」と言ったら「そうなの?!」と喜んでいました。
プロサッカー選手ですから、両親への一番の恩返しと言えば試合で元気な姿を見せること、そして勝つことだと思います。
ルヴァンカップで優勝して、その金メダルを実家に飾ってもらったら、喜んでくれるでしょう。


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牲川歩見/1994年5月12日 静岡県浜松市生まれ

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