連載「素顔の選手《REDSげんき》」
Episode4 ぼくの宝物
荻原拓也(おぎわら たくや)26 DF
サッカーを始めたころからずっと、小学生時代、レッズジュニアユース時代、レッズユース時代、プロになった現在、サッカー人生のどんな時も、自分を助けてくれたのは自分の強みでした。だから宝物と言っていいと思います。
自分の強みは成長過程で変わっていきました。増えていったということです。
小学生時代はドリブルが自分の強みでした。
レッズのジュニアユースに入ってからは、少しショックを受けました。
1年生の試合にも出られなかったんです。
それで当時の監督に、試合に出られない理由を聞きに行ったら、「利き足じゃない右足をうまく使えるようになったら、プレーの幅が広がるよ」と言われました。
監督の話は、もちろん受け止めてそれを聞き入れる部分もありましたが、自分の信じてきたストロングポイントって何だったろうと考えて、結局左足を極めるということに専念しました。実際、そのおかげで今があると思っています。
左足の精度を高めることに集中して、そこから学年が上がっていくごとにチャンスをもらえるようになって、上の年代でも出られるようになりました。
ジュニアユースの頃の自分はハードワーカーだったと思います。
2年生~3年生はボランチをずっとやっていました。ハードワークして相手のボールを刈り取って左足のロングキックで散らして、という感じでした。
この時期にハードワークが武器になって、自分を助けてくれたと思っています。
どちらかと言うと、それまではテクニックがあるタイプだったんです。テクニックがあると、ハードワークしなくても小学生のときには勝てちゃうんですよ。そういう選手だったのが、試合でそれだけでは通用しないことを経験して、ハードワークできる、戦える選手になったなと思います。
ジュニアユースの時期に、ハードワークが強みとして加わりました。
分岐点は、ユースに上がってすぐにもありました。
年に2回、フィールドテストみたいなのがあって、30m、20m、10mの距離を走るスピードとか、いろいろフィジカル能力を測るんですけど、春先のテストで、10mの部で歴代一位の数字が出て、自分でもびっくりしました。
このとき、スピードという新たな武器に気づけました。今のスタイルになるきっかけになったと思います。
自分で速くなろうと努力したことはないんです。本当に毎日毎日一生懸命やっていて、体の成長とともに一気にスピードがついたみたいです。
2年生までは、とても代表に呼ばれるような選手ではなかったんです。でも、自分の強みをずっと信じ続けていました。
2年生の12月の大会で初めて先発して、そこで活躍することができ、3年生になってレギュラーに定着するようになりました。
その後、3年生の半ばに年代別の日本代表に選ばれました。左足のキックとスピードとドリブルの突破力があってハードワークできるという特長が評価されたのだと思います。
年代別代表から帰ってから、トップチームの練習に参加しろと言われ、その後プロ昇格が決まりました。
最初に言ったように、自分の強みに助けてもらってプロになれたと思います。
今後は弱みを改善しつつ、強みをさらに増やしていきたいと思っています。
まず、今季レッズに戻ってきて、守備が強みになってきていると思います。相手に強く行くのか我慢して対峙するのかという判断が良くなっていると思いますし、行ったら奪える自信があります。
それとキックの質を高めていって、強みにしたいです。ドリブルだけでなくコンビネーションで深い位置まで入り込めるシーンはかなりあるので、最後の部分でのシュートやクロスの質が良くなれば、もっとチームの得点が増えると思います。今季、ある程度貢献できていると思いますが、この試合は自分が勝たせた、みたいな試合はなかったと思うので、今季中にそういう試合を生んでいきたいです。
荻原拓也/1999年11月23日 埼玉県川越市生まれ
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