73 2023.12.27

後から気づいた、
おじいちゃんの
言葉
荻原拓也くんとの
出会いと時間

連載「素顔の選手《REDSげんき》」

Episode4 ぼくの宝物
早川隼平(はやかわ じゅんぺい)35 MF

REDSDENKI

のドリブル練習を隣の部屋で聞き続けてくれたおじいちゃん

何気ない言葉なんですが、すごく覚えているおじいちゃんの言葉があるんです。
僕の家は玄関を入ってすぐ、けっこう長い廊下があるんですよ。10メートルくらいの廊下があって、右側がリビング、左側がおじいちゃんの部屋なんです。
僕は小学生時代、1FC川越水上公園というチームにいたんですが、1年から3年ぐらいまで、夜ひたすらこの廊下でドリブルを練習していました。
きっかけは、チームの1つか2つ上の先輩でうまい人がいて、どうしても勝てないので、練習が終わっても悔しくて泣いていたんです。そした迎えに来ていた母親が「もう帰るの? コーチに聞かなくていいの?」と言ってくれて、泣きながらコーチにトレーニング方法を教わりました。家の近くには良い場所がないので、廊下で練習したかったんですが、隣の部屋のおじいちゃんはもう寝る時間なんです。でも許してくれて、ずっとやらせてもらっていました。1種類のドリブルを5往復して、それを5種類。でも気が済むまでやってたりとかしましたし、長い時は本当に遅くまでやっていました。毎晩、練習が終わって、コートでボールを蹴ってから帰って、それからなので8時か9時だったと思います。
小学2年生になって、ある日おじいちゃんが「うまくなったね」と言うんです。おじいちゃんは練習を全然見ていないんですよ。でも毎晩隣で聞いていて、ドリブルする音がスムーズになったと言うんです。そのときは「見てないのにわかるのかよ」って思っただけなんですが、後になって、もう眠る時間なのに毎晩我慢して音を聞いていてくれたんだな、と気が付いて、ありがたかったですし、うまくなったと言われたことがうれしかったです。
僕にとって忘れられない、大事な言葉です。


© URAWA REDS

路をレッズジュニアユースにした決め手の一つは拓也くんとの電話

もう一つは、荻原拓也くんとの時間です。
拓也くんは浦和レッズの先輩ですが、レッズジュニアユース、レッズユースでも、小学生時代のチーム(以下、1FC)でも先輩なんです。
6歳上なので、小学生時代に一緒にやったことはないんですが、レッズの育成でやっている先輩がいるという話は聞いていて、僕が小学2年か3年のとき、チームに顔を出してくれて、その時に一緒に練習したのが初めてでした。
レッズでプロを目指している先輩ということで、いつか一緒にプレーしたいという気持ちが生まれました。拓也くんも常々「がんばれ」という言葉をかけてくれました。僕が6年生のとき、レッズのジュニアユースに行くのがいいのか、このまま1FCのU-15に進むのがいいのかずっとモヤモヤしていたんですが、つてを通じて拓也くんに電話させてもらったんですね。そのとき、レッズだと練習試合の相手も強いし、チームメイトもレベルが高いというのは言われました。それと、街クラブよりJの育成組織にいた方が上を見やすいと言われて、それが自分の中でレッズに行くのを決める要因の一つだったかなと思います。その電話で「レッズに行きます」と拓也くんに言った気がしますね。
1FCの新年初蹴りが1月5日にあって、僕が6年生の初蹴りのときに、レッズ入りが決まっていた拓也くんが来てくれて、スピーチをしてくれました。その後、2人でバー当て(離れたところからボールを蹴って、ゴールのバーに当てる遊び)をやって、拓也くんは「俺に勝ったらジュースおごってやるよ」と言ったんですが、いつも僕らが使っている4号球(小学生用)でやったので僕が勝ちまくりすぎて、ジュースじゃ足りないからとご飯に連れて行ってくれました。そこでいろんな話もしました。


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ッカーに向き合う姿勢がお手本に 今年レッズに帰ってきてくれたのは運命

そのご飯を御馳走になったとき、僕の家まで送ってくれたので、それ以来家族ぐるみでプロになった拓也くんを応援していました。そしたら、プロデビューしたルヴァンカップの名古屋戦で(2018年3月7日)、いきなり2点取ったんです。すごいなと思ったし、うれしかったです。僕がレッズのジュニアユースに入ったばかりのころですね。
それからはたまに会ったときなど、2人でゆっくり話すようになりました。
今年、僕がトップに登録されて、練習を一緒にやるようになったときは、願いが一つかなったような感じでした。
僕のトップデビューもルヴァンカップで、4月6日(水)、アウェイの川崎フロンターレ戦だったんですが、同じ76分に拓也くんと一緒に出ました。アウェイのスタジアムで緊張もしていたんですが、ずっと関わらせてもらった人と一緒にピッチに入るのは心強さもあって、入りやすかったと思います。
あの試合には、(鈴木)彩艶くんと、(伊藤)敦樹くんが先発していて、後から(堀内)陽太くんも出場して、レッズのアカデミー出身選手が5人同時にピッチにいたのは珍しい、と言われました。
拓也くんのプレーというのは、ファン・サポーター、選手にも影響を与えるアグレッシブなものだと思いますし、僕自身にも良い影響、刺激になっています。自分とプレースタイルは違っても、サッカーに対して向き合う姿勢という点でお手本になる選手が近くにいるというのは、ありがたいことだと思いますね。ふだんからロッカールームでも話したりして、いろいろ学ぶことは多いです。
小学生のころに出会って、中学生時代はプロの選手と長い時間自分だけが話させてもらって、身近に感じさせてもらったことで、その時から自分は絶対に高卒でプロになる、とずっと思い描いていました。そういう意味では、僕が高3でトップに関わらせてもらったタイミングで拓也くんが期限付き移籍から帰ってきたというのも、やりやすい環境になった一つだと思いますし、そういうのも含めて運命なのかなと思います。
拓也くんとの出会い、拓也くんとの時間は僕の宝物です。


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早川 隼平/2005年12月5日 埼玉県生まれ

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