81 2024.6.28

感謝の気持ちを
再確認する日

連載「素顔の選手《REDSげんき》」

Episode5 ぼくの誕生日
西川 周作(にしかわ しゅうさく) 1 GK

REDSDENKI

真をたくさん撮ってもらった子どもの頃

小さい頃の誕生日といえば、ケーキと一緒に撮った写真を思い出します。親が毎年必ずケーキを用意してくれて、ろうそくを立ててお祝いをしてくれました。今になって思うと、あのときたくさん写真を撮ってもらって本当によかったです。自分も親になり、たくさん写真を撮っているのは、子どもたちが大きくなったときにいろいろ話ができるから。最近は誕生日の写真を連写してたくさん撮るようにしています(笑)。

僕が生まれ育った大分県宇佐市は、唐揚げが有名な地域です。誕生日には必ず唐揚げを買ってきてもらい、みんなで食べていました。宇佐の唐揚げは本当においしくて、お店の揚げたてを持ち帰るスタイルです。小さい頃からたくさん食べていたので、体も大きく育ちました。今は揚げ物を控えていますが、ケーキは今でも大好きです。食べ過ぎると太ってしまうので、試合の後や家族の誕生日だけにしています。でも、小さい頃は何も考えずにたくさん食べていました。


© URAWA REDS

ーパーグローブを大切に使っていた中学時代

子どもの頃の誕生日プレゼントでローラースケートをもらいました。一生懸命練習しましたが、意外と難しかったのを覚えています。サッカーボールやスパイク、自転車、ラジコンもプレゼントとしてもらったことがあります。誕生日の思い出をたくさん作ってくれた親には本当に感謝しています。

特に印象深いのは、キーパーグローブです。子どもの頃は土のグラウンドでサッカーをしていたので、グローブがすぐにボロボロになってしまいます。普段はワゴンセールの安いグローブを使っていましたが、中学生の誕生日に1万5000円ぐらいするグローブを買ってもらいました。芝生のグラウンドで試合をするときに、そのグローブを大切に使っていた記憶が今も残っています。


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生みんなにお祝いしてもらったユース時代

大分トリニータのユース時代は寮生活をしていました。1年生の最初はホームシックにかかり、休みになるとよく実家に帰っていたのが懐かしいです。でも、夏ごろには寮生活にもすっかり慣れていました。寮ではみんなで一緒に食事をするのですが、誰かが誕生日のときは、寮母さんがショートケーキを用意してくれました。みんなで「ハッピーバースデー」を歌ってお祝いをしたのもいい思い出です。

ユース時代の誕生日には親からMDプレーヤーをプレゼントにもらったことを覚えています。よくCDを借りてきて、コンポで音楽をMDに移していました。遠征にMDプレーヤーを持っていって好きな曲を聞くのが好きでした。MDと言われても今の若い人は分からないかもしれませんね。


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「パパ大好き」

6月18日に誕生日を迎え、小4と小6の娘2人からは手紙をもらいました。昔の写真を使ったスライドショーのようなムービーを作って見せてくれたのですが、年々そのクオリティーが上がっていて、子どもたちの愛情を強く感じます。また、2人が音楽に合わせてダンスを披露してくれて、とてもうれしかったです。その様子をずっとビデオに撮っていました(笑)。まだ「パパ大好き」と言ってくれるので、頑張りがいがあります。妻からはリカバリーウェアをプレゼントしてもらいました。常に体のケアを考えてくれていることに感謝しています。とても着心地が良くて、毎晩それを着て寝ています。

昔は誕生日が来ると、自分が主役という感じでした。でも、年を重ねるにつれて、誕生日は応援してくれる方への感謝の気持ちを再確認する日だと感じるようになりました。SNSを通じて「おめでとうございます」「これからも期待しています」というメッセージを受け取るたびに、その応援に応えなければと思います。今年の誕生日も、皆さんにどうやって恩返しをするか、あらためて考える機会になりました。試合に勝って、みんなで喜ぶことが何よりも大事だと思います。そのために、しっかりと努力を続けていきたいです。


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