連載「素顔の選手《REDSげんき》」
Episode5 ぼくの誕生日
大久保 智明(おおくぼ ともあき)21 MF
小学校低学年の頃の誕生日といえば、家で開いた誕生日会が思い出されます。クラスメートの男の子も女の子も招待し、母がみんなのために食事を用意してくれました。みんなで楽しく過ごした思い出がたくさんあります。
小学4年生になると、東京ヴェルディの育成組織に入りました。学校が終わると母が最寄り駅まで送ってくれて、そこから電車で1時間かけて練習場に通いました。夜に帰宅し、翌朝また学校へ行く、そんな生活を9年間続けました。僕の誕生日は7月23日で、ちょうど夏休みの時期です。友達はみんな他の予定があり、自然と誕生日会も開かなくなりました。
子どもの頃の誕生日には、家族でよくお寿司を食べに行きました。誕生日やクリスマスなどのイベントを大切にする家庭で育ったので、今でも家族の誕生日には一緒に食事を楽しんでいます。甘いものをあまり好まないので、ケーキは少しあれば十分です。それでも母は毎年、誕生日にケーキを用意してくれます。
誕生日プレゼントにはスパイクをもらうことが多かったです。誕生日だけでなく、欲しいゲームやCDがあるときも、父は「次の試合で点を決めたら買ってあげるよ」と約束してくれました。母はそういうやり取りをあまり好みませんでしたが、父は「勝負の世界で生きるなら、それもいいだろう」と言い、僕が実際に点を決めると欲しいものを買ってくれました。
中学や高校の頃よりも、大学生のときのほうが誕生日を祝ってもらう機会が多かったように思います。中央大学のサッカー部に在籍し、寮生活を送っていました。4人部屋には2段ベッドが2つあり、1年生から4年生までが一緒に生活していました。1年生は先輩たちの洗濯や掃除を担当していましたが、学年が違っても部屋のメンバーで一緒にご飯に行くことが多く、とても仲が良かったです。誕生日には先輩たちがサプライズでケーキを用意してくれて、みんなで楽しく食べた思い出があります。
二十歳の誕生日も特に印象に残っています。誕生日前日の練習後、帰宅して深夜に日付が変わるとき、友人からのメッセージを待っていましたが、誰からも連絡がありませんでした。そのとき、孤独を感じました。小学生の頃は誕生日が楽しみでワクワクしていましたが、二十歳を超えると普通の日とあまり変わらなくなるものなんだなと感じました。
大学3年生の夏、レッズへの加入が内定し、夏休みには1カ月間練習に参加しました。JFA・Jリーグ特別指定選手としてメンバー入りも果たしましたが、その後はケガが多く、出場できませんでした。大学4年生のときはコロナ禍で大学のサッカー部の活動が停止し、大きなケガでサッカーができず、レッズの練習にも参加できませんでした。
2021年にプロとしてデビューし、翌年の24歳の誕生日はパリ・サン=ジェルマン戦と重なりましたが、ケガのため出場はできませんでした。それでもメッシ選手と写真を撮れてうれしかったです。昨年の25歳の誕生日はちょうどオフだったので沖縄で過ごしました。今年の誕生日もオフだったので栃木を訪れました。
学生時代には誕生日に孤独を感じることもありましたが、最近はスタジアムや練習場でたくさんの方々に祝福していただき、とてもうれしく感じています。26歳の誕生日を迎え、あらためて親への感謝の気持ちが深まりました。僕を生んで育て、今も変わらず応援してくれる親に心から感謝しています。僕にとって誕生日は、親への感謝の気持ちをあらためて感じる日です。
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