95 2025.4.30

浦和レッズの
長倉幹樹が語る、
少年時代の思い出

連載「素顔の選手《REDSげんき》」

長倉幹樹(ながくら もとき)20 FW

REDSDENKI

気で活発だった小学生の頃

地元は浦和です。サッカーを始めたのは保育園の頃。兄の影響でNEOS FC(幼児から小学生を対象にした、さいたま市のスポーツクラブ)というチームに入り、気がつけば自然とボールを蹴っていました。

通っていたのは大東小学校。小学生の頃の自分は、元気で活発なタイプだったと思います。勉強よりも体を動かすほうが好きで、特に体育の授業はいつも楽しみにしていました。ドッジボールやバスケットボールなど、ボールを使う遊びが好きで、休み時間には友達と校庭でサッカーをした記憶があります。

運動神経が特別良かったわけではなくて、足もそこまで速くなかったです。でも、サッカーはとにかく好きで、「いつかプロになりたい」という思いは小学生の頃からなんとなく心の中にありました。


© URAWA REDS

味本位で選んだ背番号「97」

NEOSの練習には、浦和から岩槻方面までチームの送迎バスで通っていました。バスに一緒に乗って通っていた友達は意外と多かったです。

記憶に残っている試合は、全日本少年サッカー大会・埼玉県大会の準決勝。越谷サンシンに敗れてしまった試合です。当時はレジスタFC、1FC川越水上公園、NEOSの3チームが県内でも特に強くて、いつも上位に食い込んでいました。NEOSはパスをしっかりつなぐスタイルが特徴で、自分もその中で多くを学びました。

背番号は「97」を選びました。ひとつ上の代に「99」をつけている人がいて、自分の代に「98」をつけている人がいたので、なんとなく「じゃあ自分は97かな」と。興味本位で選んだ番号でした(笑)。

チームには、2学年上に鹿沼直生選手(現在は徳島ヴォルティスに所属)がいて、兄とも同じ学年だったこともあり、身近な存在でした。今思えば、プロになってから同じピッチに立つことがあるなんて、当時は想像もしていませんでした。


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中達也選手からもらったアドバイス

小学生の頃は、トレセン(各地域で選抜された選手たちに、より良いトレーニング環境を提供するための強化・育成の場)にも参加していました。でも、あまり楽しめなかったんです。知らない選手たちと一緒にサッカーをするのが苦手で、なんとなく落ち着かなかったというか……。それよりも、気心の知れた友達とNEOSでプレーしているほうが、ずっと気持ちが楽でした。今になって当時のトレセンのメンバーを見返すと、レッズのジュニアユースに進んだ選手ばかりでびっくりします(※1)。

※1 トレセンや浦和レッズジュニアユースでは荻原拓也(浦和レッズ)、橋岡大樹(ルートン・タウン)、菊地泰智(名古屋グランパス)、シマブクカズヨシ(藤枝MYFC)らと共にプレー

同じ大東小学校には、4学年下に鈴木彩艶選手(現在はパルマに所属)がいました。当時、大東少年団の人数が少なかったことがあり、1度だけ何かの試合で一緒にプレーしたことがあります。NEOSの活動がちょうどひと区切りついた頃で、タイミングが合ったのかもしれません。うろ覚えではあるけれど、なんとなく印象に残っています。

子どもの頃は、埼スタや駒場によくレッズの試合を見に行っていました。中でも特に印象に残っているのが、田中達也選手です。当時は直接話す機会はなかったのですが、アルビレックス新潟でチームメートになり、FWとしての動きやプレーについてタツさんから直接アドバイスをもらうことができました。それはとても貴重な経験で、本当に勉強になりました。

そして今、自分はプロとしてピッチに立っています。大人の方からの応援ももちろんうれしいですが、純粋な目で見てくれる子どもたちに「かっこいいな」と思ってもらえる選手になりたいです。だからこそ、試合で活躍して、ゴールを決めて、子どもたちが憧れる存在を目指して、これからも頑張っていきたいと思います。


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