連載「素顔の選手《REDSげんき》」
荻原拓也(おぎわら たくや)26 DF
今回お話をうかがったのは、川越市出身の荻原拓也選手。カードゲームとサッカーに夢中だった小学生時代を振り返りながら、当時の思い出や、今につながる原点を語ってくれました。
僕が通っていたのは川越市立大東東小学校。のどかで落ち着いた雰囲気の学校で、特に大きな問題もなく、毎日穏やかに過ごしていました。自分はやんちゃでもなく、クラスで特別目立つタイプでもなかったけれど、ムードメーカーっぽい存在だったかなと思います。
ずっとハマっていたのが当時流行っていたカードゲーム。学校が終わると一度家に帰ってから、また学校に7〜8人のデュエリストが集まって、校舎の外階段の踊り場でカードバトルをしていました(笑)。
学年が上がるにつれて、その時間がどんどん楽しみになっていって、あの頃は毎日が本当に楽しかったです。
勉強はあまり得意じゃなかったし、体育もすごく好きというわけではありませんでした。サッカーは続けていたけれど、運動神経がいいタイプではなかったと思います。器械運動や水泳も人並み以下でした。ドッジボールだけは好きで、上手ではなかったけど、休み時間によく友達と遊んでいました。
運動会でリレーの選手に選ばれることもありました。そのときは、50メートル走はそんなに速くなかったし、自分でも足が速いとは思っていませんでした。高校生になって、ようやく“もしかしたら速いのかも”と思えるようになりましたね。
地元のクラブチーム・1FC川越水上公園に所属していました。マリノスやヴェルディといったJクラブのジュニアチームと対戦することもあり、特にアントラーズとは何度も試合をした記憶があります。
中でも強く印象に残っているのは、ダノンネーションズカップ(in JAPAN 決勝大会)に出場したときのこと。全国の強豪が集まる中で、僕たちは決勝まで勝ち進みました。最後はフロンターレに完敗しましたが、小学生時代の忘れられない思い出のひとつです。
練習場が川越水上公園の中にあったので、週に何度も家と公園を往復していたので、川越での思い出と聞かれると、水上公園の風景ばかりが思い浮かびます。
小4のとき、同じスクールに小6の柚歩(塩越柚歩、三菱重工浦和レッズレディース)がいたことも、今でもはっきり覚えています。女の子ひとりで参加していて、とにかくドリブルがうまく、男子を軽々と抜いていく姿が印象的でした。背も高くてフィジカルも強く、本当にうまかったですね。
当時はほとんど話す機会がなかったけれど、ある日、柚歩から「うまい棒」をもらったことがありました。たぶんチームのみんなに配っていたんだと思いますが、「ありがとう」とお礼を言った時のことは、なぜか今でも鮮明に覚えています。
僕には兄が2人いて、3人ともサッカーをしていたので、家族全員でどこかに旅行する機会はほとんどありませんでした。そんな中で行った奄美大島への家族旅行は、今でも特別な思い出として心に残っています。
奄美大島では、ミヤマクワガタを捕まえたくて夢中で探したんですが、実際にたくさん見つかったのはノコギリクワガタでした。ミヤマには出会えなかったけれど、それでも家族と一緒に奄美大島で過ごした時間は最高の思い出です。
兄たちの影響は本当に大きくて、音楽もゲームも、もちろんサッカーも、だいたい兄がきっかけで好きになりました。小さい頃は、いつも兄のあとをついていって、一緒にボールを蹴っていて、それが今の自分につながっているんだと感じています。
プロになって感じるのは、楽しむ気持ちが一番大事だということ。夢中でボールを追いかけていたあの頃の感覚を、今もずっと大切にしています。
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