連載「素顔の選手《REDSげんき》」
ダニーロ ボザ 3 DF
ダニーロ ボザ選手に13歳でサッカーを本格的に始めた少年時代の忘れられない思い出や家族との深い絆を聞きました。
僕の故郷は、ブラジルのホンドノポリスという町です。子どもの頃は家族と一緒に郊外の牧場で暮らしていて、町の中心に出るのも簡単ではありませんでした。サッカースクールに通いたくても、そんな環境は近くになかったんです。
サッカーを本格的に始めたのは、13歳のとき。親元を離れて、郊外から町のほうに引っ越し、姉と一緒に暮らすようになってから。ようやくスクールに通えるようになり、そこから少しずつ夢に近づいていきました。
サッカー以外ではスケートボードが好きで、よく外に出かけて遊んでいました。母は僕の帰宅時間が分からないので、心配になっては姉に電話をかけてきたそうです。「ダニーロ、まだ帰ってきてないの?」と姉に聞いては、不安な気持ちになっていたみたいです。
15歳で、地元のクラブ「ホンドノポリス・エスポルチ・クルーベ(REC)」の育成チームに加入しました。クラブに所属するのはそれが初めて。周りからは「始めるのが遅い」とよく言われましたが、僕にとってはようやくたどり着いたスタートラインでした。
RECは今、財政的な理由で無期限の活動停止に入っていますが、当時の練習環境は本当に素晴らしかった。4面のグラウンドがあり、その隣にはスタジアムを建てる計画もあり、僕にとって特別な場所です。
午前中に学校へ行き、午後は月・水・金に練習。そして土曜日には試合。そんな毎日を繰り返しながら、サッカーに向き合う時間が少しずつ増えていきました。
今でも鮮明に覚えている試合が2つあります。どちらもPK戦で、自分が最後のキッカーを務め、勝利を決めました。
一つは、サッカースクール時代の大会での決勝のPK戦。優勝をつかんだときの喜びは忘れられません。もう一つは、REC時代に出場した大会の準決勝・ボリビア代表戦。緊張感の中、PKを決めた瞬間の感情は、今も心に残っています。
サッカーを始めた頃は、ただボールを蹴るのが楽しくて、プロを目指す気持ちはあまりありませんでした。でも、モンテアズールというクラブに移ってから少しずつ意識が変わりました。
そのクラブはサンパウロ州にあり、注目度が高かったんです。そんな環境でプレーを重ねるうちに、「いつか自分もプロになりたい」と思うようになりました。
家族との思い出といえば、やっぱりクリスマスや年末年始です。家族やいとこたちが集まって、にぎやかに過ごす時間が好きでした。母の作るチキンストロガノフは、大好きな料理です。
今でも家族とはよく連絡を取っています。最近は、神戸との開幕戦で着た浦和のユニフォームを家族に送りました。すごく喜んでくれたようで、僕もうれしかったです。
ブラジルでは、多くの子どもたちが7〜8歳でサッカースクールに通い始めます。競争はとても激しく、うまいだけでは生き残れない世界です。だからこそ、ただ技術を磨くだけでなく、努力を続けることが何より大事だと感じています。
僕が子どもたちに伝えたいのは、「すべてを出し切ること」です。練習のせいで遊べない日もあるかもしれませんが、本気でプロを目指すなら、それくらいの覚悟は必要だと思います。そうやって積み重ねた毎日が、きっといつか自分の力になるはずです。
僕自身、「始めるのが遅い」と言われながら育ってきました。でも、家族はそんな僕を信じて、いつも支えてくれました。諦めずに続けてきたからこそ、今こうして浦和という素晴らしいクラブでプレーできているのだと思います。
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